歴史は繰り返すのか?

似たようなことが1880年代のアメリカの都市部で起こっていた。それまでは、発電はホテルやオフィスビル、裕福な家の屋内にある、初期に作られた直流の小さな発電施設でおこなわれていたが、はるかに安い費用で発電できる交流の大規模な発電所に一元化されたのである。
発電を一元化したために電気をかなり遠くまで伝送しなければならなくなり、送電線が街に張り巡らされていくにつれ、電気技師だけでなく通行人も感電する危険が生まれた。評論家はこの危険について警鐘を鳴らしたが、たとえそれから数十年後に感電事故が頻発することになったとしても、安く電気がつくれることのメリットは無視できないほど大きすぎた。発電の一元化は至極当たり前になったため、後の世代の人々はかつて発電がさまざまな場所でおこなわれていたことすら知らなかった。

同じようにして、コンピューティングの一元化も当たり前になるかもしれない。ときにはデータが失われる ― コンピュータ時代の感電事故のようなもの ― ことがあったとしても。後の世代の人々は、かつてデータを一元的にクラウドの中で保存していなかった時代があったことに気づきもしないのだ。


つまり、

ホテルやオフィスにあった直流の小さな発電施設
=家にあるOS・ソフトが入ったPC

交流の大規模な発電所
=グーグルが推進するクラウドコンピューティング

ということだよね。


ニコラス・G・カーもおなじようなことを言っていて、
非常に面白いなと思いましたです。

後の世代の人々は、かつてデータを一元的にクラウドの中で保存していなかった時代があったことに気づきもしないのだ。

だってさ。
気づかないうちにいろいろなものが劇的に変化していくんだろう。
まるで、時計の短針が動くように。