自分用メモ

この二つの作品で僕が書きたかったのは、愛していた人が破滅し、いなくなってしまったとき、何を感じるかです。遺忘や意志を持っていた人、愛に飢えて、道に迷ってしまった人。道を外れ自分を喪失してしまった大切な人たちを、たくさん知っています。僕が彼らのためにできる唯一のことは、既にいなくなってしまった彼らについて書き記すことです。彼らとともに失われてしまった希望について、目的の不在、道標の喪失についてね。

僕が個人的に興味を持っているのは、人間が自分の内側に抱えて生きているある種の暗闇のようなものです。その暗闇の中ではいろんなことが、あらゆることが、起こります。僕はそれらのものごとをしっかりと観察し、物語というかたちで、そのままリアルに描きたいのです。解析したり、説明したりするのではなく。

お金で買うことのできるもっとも素晴らしいものは、時間と自由である、というのが僕の昔から変わらない信念です。

旅行の目的は(ほとんど)すべての場合 ーパラドクシカルな言い方ではあるけれどー 出発点に戻ってくることにあります。

簡易な言葉と、良きメタファー、効果的なアレゴリー。それが僕の使っているヴォイスというか、ツールです。僕はそのようなツールを使って、ものごとを注意深く、そしてクリアに説明します。

結末はオープンです。結末は最終的なものではない。

地震もワールド・トレード・センターも状況はある意味で同質です。もうソリッドな地面は我々の足元にはない。これこそが共通している認識です。そのアフターマス(余波)は今でも続いています。

事実と真実とは、ある場合には別のものです。

僕がその経験から学んだことは、物語というのは、たとえ見栄えが悪く、スマートでなくても、もしそれが正直で強いものであれば、きちんとあとまで残るのだということでした。