もっと単純

それはもっと単純である。と言ったのは誰だったか。セネカだったか、ヘッセだったか、それとも夢の中の僕か。いやいや、そんなことなど、そもそもどうでもよかったのではなかったか。もっと単純でありたい。
九月である。八月ではない。当たり前のことなのだか、そんな単純なことを強く繰り返したい。週末の毎に雨の降る夏は、果たして夏と呼べるのか。汗ばかり引き受けて、ちっとも夏の楽しみを享受できていない気がする。すいかもまだ三度ほどしか食べていない。八月は終わった、夏は行ってしまった。そして、私の夏はどこへ。
まあ、そんなわけで、今日も台風のはずなのに、なぜ雨は降っていない。しかも晴れ間も覗いている。まったく、台風はどこ。そして週末は来るが、たぶん、雨。